官兵衛の / kanvee.com

気まぐれ日記気まぐれに更新
‘官兵衛の’こと官兵衛が生きた軌跡
‘みんなの’メッセージ官兵衛を愛する人たちからの言葉
‘官兵衛を’もっと知る関連書籍・ムック・雑誌・漫画など
‘官兵衛の’イベント情報官兵衛にまつわるイベント情報
‘官兵衛の’サイトについてこのサイトのこと













2014年NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』主人公・黒田官兵衛にまつわる情報満載のポータルサイト

サイトマップ ▶ ご要望・お問合せ

記事の詳細

キリスト教信仰

2013年4月 8日 |

140103.jpgキリスト教信仰


キリスト教は1549年に日本に伝来したとされています。その目的は日本の侵略だったとされますが、当時の戦慣れした日本の現状などを目の当たりにした宣教師たちは、貿易利益を優先させることに舵を切ります。
一方、日本の諸大名にとっても貿易によってもたらされる利益は大変魅力的で、中でも火薬の材料となる硝石は国内では手に入らない代物でした。
このような需給関係を基盤に、宣教師たちは豊前(大分県)の大友宗麟の庇護を受けて北部九州を端緒に着々と裾野を広げ、1581年には時の権力者である織田信長の庇護を受けることにも成功していました。


1584年、黒田官兵衛は、同じ秀吉臣下の高山右近のすすめでキリスト教に入信したとされています。
1587年6月に豊前に入ることになった官兵衛は、多忙の合間を縫って宣教師たちに教えを乞い、交通の要所である下関での定住を厚待遇で許可するなど、布教活動にも積極的に関与していました。その様子を宣教師・フロイスは「片方の手では常に戦の用務に携わりながら、他方の手では改宗の仕事に従事している。」と記しています。
しかし、同年7月に秀吉がバテレン追放令を発布し宣教師の国外退去命令とキリスト教宣教の制限を表明すると、官兵衛は潔く棄教します。
一方の右近は信仰よりも地位を捨てて国内を転々とした後に、1614年に徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けてマニラへと追放されました。


◆官兵衛が生きた"戦国時代"とは
◆信長、秀吉、家康と官兵衛って?
◆軍師とは?
◆官兵衛の生い立ちと姫路での活躍
◆官兵衛と光
◆官兵衛のあの兜のこと
◆黒田二十四騎と黒田八虎
◆和歌、茶の湯の嗜み
◆官兵衛の博多町割り
◆キリスト教信仰
◆激動の中津城主時代


RSSニュース一覧

Copyright © 2013-2014 ‘官兵衛の’実行委員会 Allrights Reserved.

​ ​