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激動の中津城主時代

2013年5月15日 |

nakatsu.jpg激動の中津城主時代


黒田官兵衛は豊前・中津城主としても知られています。
1587年、九州平定で九州の内乱を収めた功により、秀吉から豊前国6郡を与えられたことで、41歳にして官兵衛は本格的に豊前に居を移すことになります。そして、最初に居住した馬ヶ岳城は地の利が悪いということで、中津城と城下町を築きました。
この中津時代に、官兵衛にとっても歴史にとっても数々の重要な事件が起こります。


◎宇都宮鎮房謀殺
新領主が外部から入る場合、旧領主や地元民からの反発は珍しくないことでした。豊前6郡への入部に際しては「人は殺さず使え」という官兵衛も困り果て、やむなく息子・長政に旧領主・宇都宮一族や家臣らを謀殺させました。


◎息子・長政への家督贈与
1589年、官兵衛は23歳になった長政に家督を譲りました。しかし、隠居後も知略をもって秀吉に仕え続けました。


◎小田原城攻略
秀吉にとって小田原城の北条氏征伐は、天下統一に向けての最後の砦でした。官兵衛は交渉役として説得に努め、小田原城開城、ひいては秀吉の天下統一に多大な貢献を果たしました。


◎朝鮮征伐と出家
天下統一を果たした秀吉は、大陸へと進軍をはじめました。官兵衛は日本側の最高機密機関となる肥前・名護屋城の縄張りを行い、平壌に渡って指揮を執るなど、重要な責務が与えられていました。しかし度々体調を崩し、出家して名を"如水"と改めたのもこの頃だと言われています。


◎関ヶ原合戦
そして1600年、関ヶ原合戦を迎えました。


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