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官兵衛の生い立ちと姫路での活躍

2013年7月28日 |

himeji.JPG生い立ちと姫路での活躍


黒田家は近江から備前を経由して、官兵衛の祖父の代に播磨へと辿り着きました。当時の黒田家は流浪の身でしたが、祖父・重隆の代に目薬商で財を成して姫路一帯を治める小寺氏に仕官し、父・職隆の代には小寺の姓を賜り姫路城主となるなど、小寺氏の重臣の一人として着実に地位を築いていました。


1546年、官兵衛は職隆の嫡男として生まれました。22歳で家督を受け継いでから数年が経つと、播磨の東側で織田信長の勢力が台頭しだし、小寺氏はその位置関係から、織田につくか、それとも西側一帯に勢力をもつ毛利につくかの判断を迫られますが、その時に官兵衛は小寺氏を織田勢への帰属へと導きます。この時30歳でした。


また、官兵衛は信長の家臣・秀吉に姫路城を差出します。姫路は播磨の中心に位置し、播磨全体を抑えるには恰好の拠点でした。加えて播磨の情報に精通した官兵衛を見方につけたことで、秀吉による播磨の平定が始まります。


この動乱の中で主家小寺氏は織田陣営を離れて秀吉と戦う側になり、遂には出奔してしまったことから、官兵衛はそれまでの小寺姓から黒田姓へと復姓しました。この後、秀吉家臣として大名になるなど、官兵衛は秀吉との関わりを密にしていきました。


◆官兵衛が生きた"戦国時代"とは
◆信長、秀吉、家康と官兵衛って?
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◆官兵衛の生い立ちと姫路での活躍
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◆黒田二十四騎と黒田八虎
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