官兵衛の / kanvee.com

気まぐれ日記気まぐれに更新
‘官兵衛の’こと官兵衛が生きた軌跡
‘みんなの’メッセージ官兵衛を愛する人たちからの言葉
‘官兵衛を’もっと知る関連書籍・ムック・雑誌・漫画など
‘官兵衛の’イベント情報官兵衛にまつわるイベント情報
‘官兵衛の’サイトについてこのサイトのこと













2014年NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』主人公・黒田官兵衛にまつわる情報満載のポータルサイト

サイトマップ ▶ ご要望・お問合せ

記事の詳細

黒田二十四騎と黒田八虎

2013年12月18日 |

kurodabushi.JPG黒田二十四騎と黒田八虎


下克上の戦国乱世を生きた武将の中でも、官兵衛は珍しく生涯において家臣を手をかけたことがなく、また、主君を裏切ったこともなく、家臣から大変慕われていたといいます。


官兵衛・長政の家臣の中でも精鋭24人を"黒田二十四騎"、その中でも特に優秀な8人を"黒田八虎"と称しますが、呼称としては黒田八虎の方が古く、官兵衛存命の間から存在します。
その背景は、賤ヶ岳合戦で勝利を収めた秀吉が、特に功績があった家臣7人を"七本槍"と称してユニット化し、その存在が秀吉の戦勝を世に強く印象付けた事に倣ったとも、家臣を鼓舞するためだとも言われています。


この様な"ユニット化"の起源は武田信玄に仕えた家臣を称した武田家八将・二十四武将から来ており、江戸中期の安定した社会を背景に、上方の町人らを中心に演劇・文学・美術・学問など、様々な文化が開花した元禄文化の中で流行した軍記物として一般化しました。
"黒田二十四騎"の呼称もちょうどこの時期に登場しました。武田家二十四武将に倣って長政の家臣"24人"を集めたもので、"黒田二十四騎"の呼称の登場は実に官兵衛の死後約200年が経った、18世紀上旬の事でした。


なお、"黒田二十四騎"の名称は長政の家臣団を指すもので、長政を入れた"黒田二十五騎"が官兵衛の家臣団を指す名称となります。


【黒田八虎】
井上九郎右衛門、栗山四郎右衛門、黒田兵庫助、黒田三左衛門、黒田修理亮、黒田図書助、後藤又兵衛、母里太兵衛


【黒田二十四騎】
井上九郎右衛門、小河伝右衛門、菅六之助、桐山孫兵衛、衣笠久右衛門、栗山四郎右衛門、黒田兵庫助、黒田三左衛門、黒田修理亮、黒田図書助、毛屋主水、後藤又兵衛、竹森新右衛門、野口左助、野村太郎兵衛、益田与助、林太郎右衛門、原弥左衛門、久野四兵衛、母里太兵衛、堀平右衛門、三宅山太夫、村田兵助、吉田六郎太夫


◆官兵衛が生きた"戦国時代"とは
◆信長、秀吉、家康と官兵衛って?
◆軍師とは?
◆官兵衛の生い立ちと姫路での活躍
◆官兵衛と光
◆官兵衛のあの兜のこと
◆黒田二十四騎と黒田八虎
◆和歌、茶の湯の嗜み
◆官兵衛の博多町割り
◆キリスト教信仰
◆激動の中津城主時代


RSSニュース一覧

Copyright © 2013-2014 ‘官兵衛の’実行委員会 Allrights Reserved.

​ ​